今日無事に退院しました。
今までのぶん、取り返すかのように、沢山しゃべりまくり、沢山食べています。
安心しました。
金曜の朝方3時頃でした。
じいじ「ひとりで上がれるの?大丈夫?」
その声で私は起きました。
いつもと違う。
そう感じました。
起きてリビングに行くと。
じいじ「お風呂で吐いたんだって。なかなかお風呂から出てこないの。」
見に行くと、湯ぶねの中におう吐物。
真っ青な顔で、もうろうとした母が、おう吐物まみれの湯ぶねにつかっていました。
otonosamasama「大丈夫?具合悪い?立ち上がれる?」
母「うん・・・うん・・・吐いちゃった・・・・」
母は、高血圧・喘息・糖尿病・帯状疱疹神経痛と沢山の持病があります。
これは、急に立ち上がらせてもまずいかもしれない・・・・
救急電話相談の7119に電話しました。
otonosamasama「7〇歳ははが、湯ぶねで吐いて、意識がもうろうとしています。持病は・・・・」
救急電話相談員「血圧が低下しているかもしれないから、すぐ湯ぶねから出してください。」
otonosamasama「はい!わかりました。じいじ!!早く湯船から出して!!」
救急電話相談員「血圧計はありますか?」
otonosamasama「あるはずですが・・・あれ?あれ?ごめんなさい、見つからない。」
救急電話相談員「湯ぶねから出して、5分ぐらい休ませても症状が変わらなかったら、救急車呼んでもいいと思います。」
otonosamasama「はい!わかりました。ありがとうございます。」
なんとか湯船から出し、体を拭いて、パジャマを着せてソファーに座らせました。
立ち上がるのも出来ない、ソファーに連れて行くのもやっとでした。
otonosamasama「頭痛いの?吐き気がするの?手は動く?」
母「わかんない・・・わかんない・・・」
ちょっと答えるのも無理な状態なのかも・・・・ダメだ、救急車だ!!
otonosamasama「7〇歳ははが、湯ぶねで吐いて、意識がもうろうとしています。持病は・・・・」
救急電話「今向かわせます。手足は動きますか?」
otonosamasama「お母さん、手は?動く?足は?」
母「ううん・・・ううん・・・頭痛い」
救急電話「間もなく到着するので、玄関はあけておいてください。」
otonosamasama「はい!!」
救急隊員が到着しました。
otonosamasama「飲食店をやっているので、いつも夜にお風呂に入ります。そこでおう吐したみたいで。」
救急隊員「お風呂はどれぐらい入ってましたか」
じいじ「1時間半ぐらいかな?」
otonosamasama「1時間半?なんでそんなに時間たってるのに気づかないの?」
じいじ「だっていつも長いし。俺もテレビみてたから、わかんなかったんだよ。さっき声かけたけど、自分で出れるって言ったし。」
こいつ・・・バカだ!!何の役にもたたねぇ。
otonosamasama「化粧も落としてないので、たぶん入ってすぐ具合悪くなったかもしれません。」
救急隊員が血圧や酸素濃度など、いろいろ計測。
体内の酸素濃度が低いために、酸素マスクされる。
救急に搬送と決定。
救急病院へ運ばれた・・・・
はじめは脳梗塞や、血栓などが疑われた。
先生「脳梗塞や、血栓などが疑われるので、こちらにサインを・・・」
otonosamasama「母は、今どんな感じですか?」
先生「脳梗塞かもしれないので、再発しないように、眠る薬を入れました。眠ってます。」
CTとレントゲン、MRIと検査された。
すると・・・・
先生「インフルエンザですね。AとBと両方反応したんですよね。あと、肺に影があるので、肺炎も疑われます。意識が回復するまで、もうちょっと様子見ますので。」
otonosamasama「はい。付き添ってます。」
何度か目を覚ますものの、少し動くだけで、体内の酸素濃度のアラームがなる。
先生「様子をみても状況が良くなりません。入院しましょう。ベットの空きを確認しますから。」
otonosamasama「はい、わかりました。」
喘息の持病があるので、インフルエンザになったら入院だ!!とは思っていたが、現実となった。
こんなに急激にひどくなるなんて・・・・・
少し回復した時に、母にあの時の話を聞いてみたら、ほとんど覚えていませんでした。
子供や高齢者の場合、意識障害がおこるというが、そういう状態だったらしい。
そして、うっすら覚えてるのが、お風呂で溺れかかった事。
ああ・・・・死んでたかもしれないな。
私が居なかったら、本当に死んでたと思う。
じいじは、何もできなかった。
出来ないんだ。
怖い、きっと見殺しだ。
うつるといけないので、じいじは待合室で待ってもらっていた。
otonosamasama「あ、じいじ。お母さん入院だって。こんな状態では帰せないって。」
じいじ「あっそ、んじゃあ俺帰るわ。店あるから、帰って寝るわ。」
otonosamasama「・・・・・・うん。」
あきれて何も言えない。
こんな時に、店?帰るの?
すっぴんで、財布しか持っていない私を置いて、車で帰って行った。
ひどすぎる・・・・・
11時過ぎ、ベットが決まり隔離。
電車で家に帰り、パジャマや下着、歯ブラシ、石鹸、タオルなど荷物を詰め込む。
パンパンリュックサックと、大きな紙袋2つを持って、また電車で病院へ(乗り継ぎして40~50分かかる)。
うんうんうなりながら苦しむ母。
心配で心配で仕方なかった。
持病がいろいろあるから、合併症をおこしている訳だから、このまま体力なかったら死んでしまう訳です。
高齢のインフルエンザ、本当に怖い。
土曜日、高熱はおさまりましたが、まだ7度台。
頭痛、吐き気もあり、すごく辛そう。
日曜日、まだ7度台。
吐き気はおさまり、お味噌汁などちょっと食べれるように。
月曜日、熱が平熱に戻る。
ご飯を3分の1ぐらい食べれた。
火曜日、持って行ったおにぎりや、お浸しを美味しいと食べる。
水曜日、元気になり、病院を出たいと文句を言うようになる。
木曜日、無事退院。
熱がさがって、食欲が出はじめたら回復が早かった。
喘息もひどくならず、ほっと一安心。
1週間、いろいろ考えました。
母は私が18歳の時に離婚しました。
その時私は未成年なので、親権は父でした。
父を嫌いではなかったけれど、母を守るのは私しかいないと、その時考えていました。
20歳になり、家庭裁判所に行き、自らの意志で、母の姓に変更しました。
それから一緒に暮らす時間は短いものでしたが、何かあれば、母を守るのは私だと思ってきました。
今母も高齢になり、またいつこんな病気になって死んでしまうかもしれないんだなぁと。
今回身に染みた出来事でした。
じいじは、悪い人ではないのですが、何もできない人なんです。
仕事しかできない人なんです。
じいじに任せておけない。
私がいなければと思いました。
18歳で母を守りたいと思ったotonosamasamaですが、今がその時なのかもな・・・って。
本当に母を守る時なのかなぁって。
一人暮らしはキャンセルしました。
今度家を出るときは、母が死んだ時か、母を連れて出ていく時。
そう決めました。
頭の中まっしろです。
急に逆方向に方向転換ですから(笑)
明日仕事いけば、あとは連休。
またじっくり考えます。